Cotton Candy

夢の続きは、ひとつかみの綿菓子

行きたい

相変わらず本は乱読状態だけど、知人に教わって読んでいる本、『逝きし世の面影』(渡辺京二 著)が素晴らしくて、胸がいっぱいになる。たとえば次の一節。

 かつてこの国の子どもが、このようなかわいさで輝いていたというのは、なにか今日の私たちの胸を熱くさせる事実だ。モースは東京郊外でも、鹿児島でも京都でも、学校帰りの子どもたちからしばしばお辞儀され、道を譲られたと言っている。モースの家の料理番の女の子とその遊び仲間に、彼が土瓶と茶碗をあてがうと、彼らはお茶をつぎ合って、まるで貴婦人のようなお辞儀を交換した。「彼らはせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なのである」。彼はこの女の子らを二人連れて、本郷通りの夜市を散歩したことがあった。十銭ずつ与えてどんな風に使うか見ていると、その子らは「地面に座って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、すなわち乞食」の前におかれた笊に、モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。この礼節と慈悲心あるかわいい子どもたちは、いったいどこに消えたのだろう。しかしそれは、この子たちを心から可愛がり、この子たちをそのような子に育てた親たちがどこに消えたのかと問うこととおなじだ。

 

そういうわけでモース(大森貝塚は割と実家から近い!)&明治時代にますます興味をもって、ぜひ、これに行きたい。ぜったい行くので、ここに書いておこうっと。 

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