Cotton Candy

夢の続きは、ひとつかみの綿菓子

夢を見て思った

いつだったか、実家に娘と行ったとき、中学生のいじめの問題がテレビで取り上げられていて、一緒に見ていた両親が揃って、「Mちゃん(娘)は高校生で良かったね」と言ったことに驚いた。

「やだ、高校生だって、いじめはあるのよ」

「え?高校生でもあるのかい?」

なんていうお気楽な会話が展開された。中、高校生に限らず、社会人になったって、PTAにだって、とにかく人が集まれば、多かれ少なかれ、いじめがあるなんてことは、普通の人は承知のはず。

それは集団であったり、個人であったりする。いったい、どんな人がいじめられるのだろう。ウザイ人?気持ち悪い人?生意気な人?暗い人?地味な人?派手な人?・・・いわゆる癇に障る人、そしてもしかしたら、反抗的な人もかも。反抗までも行かず、ラインの返事をすぐしなかったりするだけで、いじめられたりもするらしい。

どうしたって、いじめはなくならないと思う。それは、いじめている人がいじめだと思っていないから。いじめられている人が100回泣いたって、自分のせいだと思ってない限り、いじめは続く。

 

いじめから逃れる方法。その場からいなくなる。学校だったら辞める(転校する)。会社も辞める。地域だったら、引っ越しをする。・・・あちこちに相談したり、騒ぎ出すより、これが一番適切だと思う。けっして、逃げるわけじゃない、悲しいけど仕方ない。いじめだって、もしかしたら、その兆候があったのかもしれない。どなたかが言っていたけど、病や非行にもそれがあるように。でも、その兆候に気付いたって、避けられないこともある。どんなに打たれ強くても、どんなに鈍感でも、傷つくことがある。その深い傷を癒すには、どうしたらいいのだろう。それを探しながら、日々を過ごす秋。