Cotton Candy

夢の続きは、ひとつかみの綿菓子

あの日のこと

昨日今日の「あまちゃん」を観て、あの日のことを思い出した人は多いだろう。私ももちろんその一人。あの日のことは書き留めておこうとは思いつつ、東京での恐怖を語るなんて、東北の人たちに失礼にあたるような気がしてた。実際、そうなのかもしれない...。

あの日は、職場である古いビル内の一室にいた。あの揺れは、今までに体験したことのない揺れだった。ちょうど少し前に起きたニュージーランドでの惨事を聞いていたから、それが脳裏に浮かび、同じようにビルの床が抜けるのではないかと思い、揺れている間恐怖におののいていた。大きな揺れは2回あったと思う。何秒間だったのだろう。幸いにして、職場には私とスタッフしかいなかったから、騒ぎにはならなかったけど、もう少し遅い時間だったらと思うと、ぞっとする。

揺れが収まってからは、その後の対応に忙しかった。何しろ電話が通じなかった。携帯のワンセグでニュースを見ながら、さまざまな対応にあたふたした。あたふたしながら、思っていたのは家族のことだった。夫は(近代的な)ビル内だから安心だし、中学生だった下の子たちは学校にいる時間だから、大丈夫だと確信していた。問題は長男だった。

前々日の3月9日は高校の卒業式と謝恩会ではしゃぎまくり、前日の10日は、第一志望の大学不合格発表で奈落の底に落とされ、当日の11日はどうするか聞かないまま私は家を出てしまった。予備校の予約に行くかも知れないし、後期受験のために(卒業した)学校に行くかも知れないし、友達とどこかに行くかも知れないし、家で寝ているかも知れないし、はたまた一人で彷徨うかもしれないことを言っていた。

東京でも九段会館を始め、あちこちでの被害のニュースを知り、長男のことが気がかりだった。いったい、どこにいるのだろう。それだけが知りたかった。それを心のはしっこに置きながら、仕事の対応に本当に忙しかった。時間差はあったけど、メールが通じたのが幸いだった。しばらくして、長男は学校にいると分かり、安心した。学校なら泊まっても大丈夫だと思い、ほっとした。(結局は、職場が同じ区内の夫が徒歩で引き取りに行き、そのまま歩いて自宅まで帰ったのだが)

その日の夜は、案外落ち着いていた。スタッフは帰したし、電車は動いていないのだから、金曜ということもあって、そのまま職場に泊まるつもりでいた。部屋にひとりだったけど、余震の怖さをまだ知らなかったから、ニュースを見ながら、パソを開いて仕事を始めていた。それでも、意外なことに大阪にいる友人が心配してくれて電話をくれ少し話したら、泣きそうになってしまった。やっぱり心細かったのかも。12時過ぎてたかな、電車が動き始めたと分かり、ビルの外に出たのは。道路は右に左に歩いている人だらけで、驚いた。あの異様な風景は忘れない。

私は親戚も友人も東北にはいないので、その後のことをどこか遠いところでの出来事のように感じていたのは本当に恥ずかしいし申し訳ないと思う。もう、2年以上前のことになるとは...。

ドラマの中のアキちゃんたちがこれからどう生きていくのか、興味深い。そして、今月でこれが終わってしまうのが、残念でたまらない。