Cotton Candy

夢の続きは、ひとつかみの綿菓子

K : K

朝、時間より少し早く目覚めたら、やっぱり軽い頭痛がした。ご飯が炊けるまでにはまだ時間があったので、(二度寝は)危ないと分かっていながら、もう一度ベッドに入った。身体がそのように要求していたのだから仕方ない。結局案の定、バタバタの朝になったけど、ちょっと寝たのは効果的だったようで、その後は頭もすっきりして、きちんと朝食も食べられた。今日は朝早くに仕事がある日で・・・とりあえず無事に終了した。今、一息してるところ。

さて、タイトルのKというのは、漱石の「こころ」に出てくる登場人物のKのこと。実は4月に放映されていたEテレの100分名著がこの作品だったので、ちら見しながら昔読んだ「こころ」を懐かしく思い出していた。奇しくも村上春樹の新作を読んでいたのと重なり、自我や孤独、生と死について思いを巡らすことになった。

そしてさらに奇しくも、実はあまり大きな声で言えることではないが、5月6日の連休最終日の朝、うちのマンションで飛び降り自殺があったのだった。その日の朝はそれはそれは大変な騒ぎだった。パトカー、救急車、消防車がサイレンとともに押し寄せ、現場は長い時間、かなり大きなブルーシートで覆われていた。人も大勢出てたけど、夫がゴミ出しのときにそれを聞いてきてから、我が家は誰も外に出ず、じっとしていた。マンション内の人だったら、どうしよう。さらに子どもだったら、どうしよう、なんて危惧していたが、どうやら、よそから来た成人だったようだ。そうなると、事件?というほどでもないのか、新聞はもちろんネットにも全く情報は流れなかったようだ。しかし、今住んでいる建物からそういうことが起きたというのは、悲しいし、恐ろしい。身体の不調も伴って、くらーい気分でずっといる。あまり人と話したくない。

Eテレの番組では、姜尚中氏が「こころ」の解説をしていたが、その深い読みにびっくりした。Kは「先生」の分身であり、先生はずっとKの後追いをしていた、というのだった。エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」(一心同体の二人の人間の話)の影響を受けているのでないかとも解説していた。

高校時代、これを読んで感想文を書かされた覚えがある。「Kくんはかわいそうだった」で書きだしたのも覚えている。授業では、これを単なる「先生」の話で終わらせたのでなく、それを「私」に伝えたことが重要だ、みたいなことを教わった。「私」はKと「先生」の死を受け取って、生きていく。「色彩のない・・・」も、個性がなくても空っぽでも、生き残った人間はできるだけ生き続けなければならない、という作者の意志を感じたけど、まだまだ読みが浅くて、よく分かっていない。個人的には「海辺のカフカ」を読んだときの気持ちと少し似てる気がする。作品は全然違うけど。

そうそう、読み直すとまた違った感じ方ができるのが文学なんだろうな。答えがない。そこが推理小説とは違うところ。そんなわけで、ぼーっとしてる。仕事、大丈夫かな(笑)。